Partly cloudy with rain

奈落の底からサラリーマン。何とか部長をやってます。

黒い右腕


1日もすると、右腕全般が腫れてきた。

どうやら爪楊枝で刺したところから細菌が侵入したらしい。

症状はどんどんと重くなる。

もはや、肘も曲がらないほど腫れ上がっている。

傷口が膿んできた。

看守に絆創膏をもらい傷口に貼る。

そのときの口実は、「手首を虫に刺された」から。

もちろん違う。しかし当番看守は、わたしの悪事を知らない。

腕の色がどんどんと黒くなってもはやドス黒い。

ごはんもほとんど食べない。栄養状態だって悪い。

身体の抗体も落ちているからだ。

 

朝夕の看守の点検では、右腕を隠し点検したことで、事象に気が付かれなかった。

ある日の夜中、傷口が疼き出し痛みがひどくなった。そして決定的だったのは、

傷口から血が噴き出してきたのだ。こうなると絆創膏なんて全く意味をなさない。

それこそ松旭斎なにがしによる水芸マジックがごとく噴き出す血。

大げさではなく、自分でも止められない。

ほとばしる血。それも赤くない、黒い血なのだ。

そして、お袋が死んだときにしたにおい。

お袋も死ぬ間際に黒い血を吐いて死んでいった。

死臭とでもいおうか。強烈なイヤなにおいが部屋全体に充満した。

爪楊枝

次に行ったのは、爪楊枝。

房の中には、当然常備されていない。

嫁に爪楊枝の差し入れをしてもらい、必要な時に「申し出」によって部屋に入れてもらえたはずである。

一束を部屋に入れてもらい、終わってから返す。

返すときに数本隠し持つ。

ガーゼの紐もそうだが、今考えれば無茶なことだった。

 

爪楊枝の先を右腕の手首に刺す。

血を出したいのだ。それも大量に。

手首の青く通る線の上(静脈)目掛けて楊枝を刺す。

3分の2ほど埋まった記憶がある。それを何度も。

そして左手の手首、肘の静脈に対して。

血は出る。だがすぐに止まってしまう。

問題男のわたし。

わたしの房は看守の仕事場の隣りのようだ。

 

夜も深けたある日。

減灯といって寝るときは真っ暗にならない。

少しの明かりの中で、わたしの行動。

隣りの看守の声が聞こえる。

「あの野郎っ」

「いいからほっとけ」

小さく聞こえてくる、二人の看守の会話のようだ。

 

手首を切ったからと言って人は死ねない。

正常な人間ならば、血液は凝固し止血してしまうからだ。

そういうことで「ほっとけ」になったのだろう。

ただ、次の朝に看守からは、「次にやったら保護房だぞ」と言われた。

保護房?

始めて聞く名である。

 

保護房とは、わたしのような自傷行為を繰り返す問題野郎や、

言うことを聞かない、暴れまわる、壊しまくる人が入れられる房の事。

実際にわたしがお世話になったことはないが、聞くところによると

房の中は監視カメラは当然、四方をクッションで柔らかくし、トイレと水場以外は何もない部屋だとういう。

ラジオも聞こえないし、下手をすると戒具で身体を縛られ、手足の自由もはく奪され、ごはんは、犬のように食さねばならないと聞いた。

今でこそ、とんでもないと思いこそすれ、当時は頭がイカれていたのか、あまり考えてもみなかった。

 

Break time【魔猫と陰性】

ここ数日、具合が芳しくない。

若干の寒気、微熱感。少しの頭痛。そして倦怠感。

3連休を終えても有給を取る羽目になってしまった。

咳はない。

喉の痛みもない。

高熱もない。

熱を測るも37℃にも達さない。

何度測っても。

埒があきそうにない。

近くで抗原検査キットを購入。税別980円也。

検査をしてみる。

どうやらインフルエンザも新型コロナも陰性らしい。

そして魔猫があらわる。

検査キットに覆いかぶさる魔猫。

「悪い病気に罹ったらどーする!」と叱責。

逃げた魔猫。

そして遠くから観察。お酒に囲まれて。

さて、何か他に悪い病気なのだろうか?

治る気配がない。

いっそコロナの方が分かりやすく且つ休みも理解が得やすかっただろうに。

独身ひとりもののわたし。

倦怠感で動くのがかなり億劫。

誰も助けちゃくれまい。魔猫は良い子で寄り添ってくれているが、

ご飯はあげるが、作っちゃくれまい。

さて、どうしよう。

 

 

ガーゼ

理由は、忘れてしまった。

部屋“房”には、ガーゼが入っていた。

少し大きめのガーゼである。

それが2枚だったか、入っていた。

房の中にいるときは、とにかくやることがない。

長いもの、紐状のものもない。

求刑7年。落ち着いてもいられない精神状態。

ウロウロと狭い部屋を歩き回る。

そしてやることがないといろいろと、仕出かす。

そして何もないと人間、思いもよらぬものを作り出す。

まず看守の見廻り。

おそらく15分ごとに見廻っている。

もちろん、房に時計の類などないのだ。

昔、教わったことがある。

「01、02」(れーいち、れーにー)と数えると

だいたい1秒、2秒になることを。

それを実行し15分ごとの見廻りであることが分かった。

 

ガーゼを端から帯のように割く。

時間があるので上手に割ける。

いくつもの帯を作るのだ。

次に作った帯をこよっていく。

1つ、2つ、いくつもこよっていく。

すると細い紐のようなものができる。

しかし、このままでは細いし短いだ。

そしてそれぞれこよったものを一束にしてこよっていく。

これを何度も繰り返しそれぞれを縛ると、人を支えられそう?な紐になった。

今思えば、わたしの体重を支えられるほどでもないし、長さも足りないに決まっていた。

でも何かしていないとおかしくなりそうだ。

とにかく「死」に近づける考え行動するだけで少しだけ落ち着いた。

監視カメラはある。

当番の看守は1~2名。

このフロアすべての映像を常に見てはいまい、そんな勝手な思いでいた。

15分こどの見廻りを縫って、これもどうやったか、もはや記憶が定かでないが、

天井にあったスピーカー(鉄板に細かい穴が無数にあるもの)に先ほどの紐を通し

自分が首をくくれるほどまで準備ができた。

そんなものしかぶら下がるようなものはない。というか、これもかなり無理がある。

簡単に書いているが、何度も何度も失敗はしたのだ。

それでも死にたい気持ちと、やることがない手持無沙汰、不安感から

そこまでたどり着いた。

今思えば、そんなことで死ねるわけもなく、看守もモニターを見ながら「何をバカなことやってんだ」と

笑っていたかもしれない。

しかし、こちらは真剣だし、これで死ねると確信している。

 

見廻りの合間を見て、首を吊ってみる。

死の合間までは裁判所で体験済みだ。

体重を紐にかけてみる。

あっさりと紐が切れる。

当たり前だ、ロープではないのだ。絶食していたとはいえ体重は80㎏くらいはあっただろうか。

 

あえなくこの方法は、未完に終わったのである。

 

絶望

わたしはこの時の記憶があまりない。
ただ、この裁判は初公判であり、初公判なのに求刑があり、次回で結審すると

いうことは分かった。
裁判は時間がかかるものと勝手に考えていたが、それほどまでにシンプルな事件と

言うことだろうか。
時間にしておそらく10分程度。

若い検察官は、何かを話している。

状況、被告人は悪い奴だ、お父さんを思うと、など。

弁護士は言葉少なだ。

話したこともない若い検察官に何が分かるものか、

そんな考えを持ってしまっていた。

そして若い検察官は、わたしに求刑をする。
罪名は、「傷害致死罪」「求刑は7年」
絶望だ。
人生が終わったことは親父が死んでからそう思っていたが、改めて終わりを

突きつけられたようだ。
次の裁判は1ヶ月後と裁判官に告げられ閉廷した。
わたしは腰縄をされ手錠をされ、ヨロヨロと部屋を出された。
自分では足に力が入らないようだ。
両脇を力強く看守たちに支えられ元いた部屋に戻された。
また無音の時間を過ごす。
閉塞感。不安感。そして絶望がプラスされた。
拘置所にはバスにまとめて乗せられおそらく夕方以降に帰らされる。

わたしは、着ていたフリースを脱ぎ、腕の部分を首に回し強く締め付けた。
留置場にいた時に、電気工事で窃盗をした人に聞いたことがある。
自身の父親は、自殺した。座ったまま首に紐を巻き付けて自殺した。
首吊りはぶら下がらなくても死ねるのだと。

頸動脈が閉まってきたのだろう。辺りが暗くなってきた。
頭に血が上っているように圧迫されてくる。
意識が遠くなってきたことも分かる。
何かキラキラとしてきた。
そのまま意識が抜けかけたのか、床に突っ伏した。
抜けかけの意識で力が抜け、そして突っ伏した衝撃で意識が戻る。
大きな音がしたのだろう。看守が飛んできた。
そしてわたしは、そのまま別の車に単独で乗せられ、拘置所へと戻った。
裁判所で自殺者など出されたら迷惑なのだろう。

わたしは拘置所に戻ったが、部屋を変えると言われた。
言われるがままだ。
新しく当てがわれたのは、やはり単独の独居房。
一見前と同じ部屋だ。
しかし天井には、監視用のカメラが覗いている。
そして、今まで部屋に備え付けられていたプラスチックの食器類、テーブルなどは
外に出された。
代わりに、段ボールの箱、そして紙の食器類。
自殺予防なのだろう。

とても惨めな感覚を覚えた。

拘置所や刑務所は、入ってきた状態と同じ状態で出すことが基本なのだとあとで聞いた。

これから死にたいわたしと死なせない看守の戦いが始まる。

初公判

初公判の日を迎えたらしい。
わたしは護送車に乗せられおそらく裁判所へと向かっている。
検察と裁判所は近い。
いつもの道のりで裁判所に到着したようだ。
被告人であるわたしは別室に通された。
そこは3畳ほどの部屋。
とても古く畳張り。
窓は一切ない。
重い扉を閉められると小さな監視窓が薄く開いている。
どうやらここで裁判の時まで待つらしい。
ここでは冷静に書いているがその時は、不安と閉塞感とで
過呼吸のような状態になってしまった。
しかし誰も助けてはくれない。
静かだ。
監視のためか看守の見回り。足音も静かだ。そして空調の音。
部屋には数冊の古い小説も置いてある。
しかし、読むような余裕などない。
この先、どうなるのか… 
裁判の時が来たようだ。
部屋を出され、裁判をする場所(どう言えばいいか分からない)に連行される。
手には手錠、腰には腰縄が縛られて自由が効かない。
テレビなどで知っているそれが目の前に広がる。
ただ、部屋自体そんなに大きくない。
傍聴席と言われる席もある。
わたしの事件はそんなに目立ったものではないと勝手に思っていたが
傍聴席はある程度埋まっている。
そして実際に裁判をするフィールドは左側にずいぶんと若い数人、右側に知った

ことのある顔。つまり弁護士が1人。
左側は若い男女の検察官が2人。
今まで調書を取り、取り調べをしてきた検察官ではない。
どうも役割分担があるらしい。
または、わたしの事件が簡単なので若い検事に任せたのか。

埋まっている傍聴席。そんなに席数はないが傍聴が趣味の人、法曹関係を勉強している学生、弁護士のなりたてなどもいるようだ。
席を見回すと、端の席に嫁、そして嫁のお母さんの顔が見えた。
手には手錠、腰には腰縄。

申し訳なさと情けなさでわたしは見た途端泣き崩れてしまっていた。
両側で支えている刑務官に抱き起こされて被告人席に座らされた。
と同時に腰縄と手錠を解かれた。
少しすると裁判官が入ってきた。
そして裁判が始まる。

価値観と黄色いタオルへの思いと


ある時、わたしの大切な尊敬する友人が面会に来てくれた。

わたしは泣き崩れ会話にならない。

友人は悲しそうにわたしを見つめやはり言葉にならない。

15分の面会時間は、あっと言う間に過ぎる。

 


部屋に戻りしばらくすると「差し入れだ」と刑務官が入れてくれた。

お菓子、そして2本の黄色いタオル。

友人が差し入れてくれたのだ。

ありがたい。

わたしは、生活用品は官の物しか使わないと決めていたが、友人からもらった

このタオルはありがたく使わせてもらうことにした。

このタオル。この後大切に大切に使うことになる。

洗顔時の払拭、お風呂で身体を洗うとき。

お風呂を出て身体を払拭する。普通のタオルにはとても過酷な使い方だと思う。

そして何年も経過した後のわたしのタオルは黄色い色が抜け、白いタオルとなり、

生地はボロボロ、ところどころ汚い茶色と化してしまった。

今までタオルをこんなに大事に使ったことなどない。

元来、友人がいないわたし。

唯一の友人が入れてくれた差し入れ。

このタオルはわたしにとって特別なものだ。

これから先、もう会うことは叶わないかもしれない。

わたしは、勝手に絆の如く大切に大切に扱うことになる。

のちにわたしは「乞食」と言われる。

それはそうだ。

身に付けてるものは全て官、つまり国からの借り物。そして粗末。

あまり話をしないわたし。そして汚いタオル。

わたしはその状況も甘んじて受けた。

思えば、決して裕福でなかった家庭。

親父はいつも着古した服、穴の空いた下着を着て凌いでいた。

わたしを育てるため、そして少しでもわたしに苦労をかけないために

切り詰めて生活をしていたのだ。

当時のわたしは、そんな親父の姿を見て「こんな親にはならない。自分を犠牲にしてまで」

と思っていた。

今はそんな親父と似た姿だ。

罰を受けなければいけないのだ。

大袈裟でなくいつも、そして今もそう感じながら生きている。