Partly cloudy with rain

奈落の底からサラリーマン。何とか部長をやってます。

おわりのはじまり2(加筆)


当時、わたしの仕事は夜中に起きてする仕事。

だからわたし用の部屋があった。

そこで寝起きをしていた。

親父を呼び寄せるのでそこの部屋をあてがった。

わたしも転職し大手メーカーに勤めることになった。

 


わたしは、親父と同居することに快く承諾してくれた嫁にとても感謝していた。

だからと言うわけでもないが、わたしはいつも何時でも嫁の味方になると決めていた。

世の中敵にしても嫁の味方になろうと決めていた。

それもいけなかったのだ。結果的に…

 


お袋は生前、嫁にこんな話をしていたそうだ。

「お父さんはお金遣いが荒い」と。

嫁伝いにわたしもその話を聞き、認識を持った。

 


親父はと言うと毎日塞ぎ込んでいる。お袋が死んだショックから立ち直れない。

ずっと部屋から出てこない。

嫁は専業主婦。

一日中、家に居る。親父もそう、一日中家にいる。

どうしたってお互いに気を遣う、問題も起きる。

ましてや狭いマンションの一室。

親父もかわいそうなくらいわたしたち家族に気を遣う。

嫁には丁寧語。お風呂はいつも最後。

ご飯とお風呂、トイレ以外部屋を出なくなってしまった。 

部屋を出る時は外出するために出る。

あとで思えば親父も気を遣っていたのだ。

嫁が気を遣うだろうと外に出ていたのだ。

ただ、わたしも嫁もそのときは、「隠れて呑みに行っている」「パチンコ、競馬に行っている」

と思ってしまっていた。

歴史、そしてお袋の言葉がそう想像させていた。

子供の頃から親父は、仕事帰りに酒を呑んで帰ってくる。

遅くに帰ってきて、お袋にあたり、大きな声で文句を言う。

毎日のようにケンカになる。お風呂は小さいわたしの手を取り出て行く。

行くあてのないお袋。

近くの歩道橋に登り、行き交う電車をわたしに見せる。

早く帰ってくる親父は好きだった。でも遅くに帰ってくる親父はキライだった。

土日は競馬とパチンコ。

幼少のわたしを引き連れ、場外馬券売り場、そのあとはパチンコ、そして行きつけの居酒屋で酒を呑む。

自転車の荷台に乗せられ連れ回されるわたし。

場外のあとのスマートボール。居酒屋のおばさんがにぎってくれた塩おにぎり。

思い出はある。しかし、わたしはいまだギャンブルは一切しない。外で呑むこともない。

こんなこともあった。

高校生のわたし。

夜遅くに行きつけの理容店のおじさんが訪ねてきた。

聞けば、親父が酔っ払って道路に寝ていると言う。

おじさんとわたし、親父を抱き抱え家まで帰ってくる。

そんなことも何度かある。

そういうおやじなのだ、という認識。

わたしも馬鹿なのだ。お袋が死んでからの親父の人生。

好きにさせれば良かった。

お袋に毎日うるさく文句を言われる親父。

お袋は自分の友達と事あるごとに食事、外出などを楽しむ。

しかし親父はお金をあまりもらえない。

だから馬券は100円単位。居酒屋も安い酒。

わたしは一人っ子。

反面、わたしを育て上げるため、お袋も親父も好きなことを最低限にして我慢をしてきたのだ。

だからこそ、大人になって所帯を持ったわたしが理解をし、好きにさせるべきではなかったか。

今でも後悔をしている。

 

わたしのエゴで知り合いのいた地元から引っ剥がし知らない土地に連れてきた。

日に日に言葉も少なくなる。

そして嫁からも聞く。

わたしが仕事に行ってる時の生活。

時々外出する親父は何をしているか何にお金を使っているか、分からない。

そんな類の話から日に日に親父の文句が増えていく。

わたしは、親父に文句を言う。

部屋に引きこもってないで、同世代とコミュニケーションを取れと。

公民館で会合があるから行ってこい!

お金を何に使っているか分からないから1日、500円の小遣い制にする。

リハビリしろ、外出しろ、無駄遣いするな、タバコ吸ってないだろうな、

酒、飲んでないだろうな、などなど

あまりにも酷いわたし。

あの日の土曜日。

わたしは、部屋にいた親父に「会合があるみたいだから公民館に行ってこい!」

と言った。

親父はすごすごと準備をし、外出した。

「リハビリなんだ」「交流を増やして友人を見つけろ」

そんな思いだった。

わたしは、休みの日は小さな息子と近くの公園でサッカーの練習をしていた。

息子は地域のサッカークラブに入っていたが、試合になかなか出られない。

同世代の子たちは上手にボールをさばく。

少しでも上手くなってほしい。そんな思いからいつも息子を連れ出し練習を行っていた。

マンションのそばには公営を大きな公園が出来上がっていた。大きく広い平原、

バーベキューができるエリア。そしてアスレチック施設。

わたしたちはいつもその平原で練習をしていた。

寒い。真冬の公園。冬特有の澄んだ空気、そしてきれいな青空。

そんな寒空のもと、ボールを蹴っている。

強く蹴りすぎてしまった。

ボールは、息子のいる場所から外れ、転々と転がって行く。

走って取りに行く息子。それを目で追う。

ボールと息子の見える延長線上の遠くのベンチ。

見覚えのあるジャンパーが背中を見せて丸まっている。

寒空。公園に来ている人はほとんどいない。

親父だ。

着の身着のまま越してきた親父。

着ていたジャンパーは、冬のものではない。

少しの移動ならまだしも長い時間は辛いだろう。

親父が背中を丸めて座っていたのだ。

親父はいつもそうしていたのだ。

知らない土地。お金もない。でも息子からまたは息子の嫁から言われる。

自分でも気を遣って外出をする。

時間を潰さねば。そして行くあてもない。

だからあんなところで時間を潰すのだ。

泣いていた。親父の気持ちを察して。

「寒いだろう。寂しいだろう。辛いだろう」

嫁の味方になると言う極端な思い、お袋からの伝達、そして積み上がった歴史。

親父への思い。

今でもあの時の情景が脳裏から離れない。

親父の寂しそうな、悲しそうな小さな背中…