Partly cloudy with rain

奈落の底からサラリーマン。何とか部長をやってます。

Break time【正月に読みたくない女々しさ】

お正月の三が日もあと1日。

最近は、昔のようにどこのお店もやっているというわけではない。

どちらかというと「正月は休む」といった流れになっているのではないか。

それでも1日からやっているショッピングモールはある。

今住んでいる家のそばも通常体制で運営している。

わたしも必要なものか「や食べ物を物色するために赴く。

やっている店が少ないせいか、普段よりもとても混んでいる。

お屠蘇気分とは、今の時代あまり合致しない言葉かもしれない。

だが、世の中の人々は何か幸せそうに歩いている。

わたしは1人歩く。

わたしの周りは家族連れなどが流れていく。

雑踏。

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けど、ここにはそれぞれの絆を感じる。

家族がいた時には感じなかった。

いろんな関係があろう。

ここで見るような幸せな家族のカタチ。

もう、縁を切りたい、けれど切れない関係。

憎み合う兄弟。

鬱陶しい親。

介護。

 


ときどきそんな話も聞くが、今のわたしには羨ましくさえ思う。

人間は一人で生きていくには辛い。

集団で社会を築いて生活をした方が向いている。

徒党を組むことでの弊害もある。

イジメ、憎しみ、心配、忖度。

 


会社や外の社会での集団というわけではない。

帰ってこれる集団、家族があること。絆があること。

 


時に、わたしがここで倒れても誰かが手配を取り病院に送ってくれるだろう。

しかしそれ以降は何もない。

心配してくれる親、子、配偶者。

会社の人たちも心配はしてくれる。

しかし1、2度のお見舞いはあるかもしれないが、それだけだ。

それは当たり前。

それぞれに絆があるから。

そちらの方が大切だから。

絆があるものは、毎日のように病院に見舞い、必要なものを用意し

調達してくれる。

「愛」があるのだ。見返りを求めない。

この雑踏の中にもそんな絆=愛を感じる。

そして羨ましい。

 


「自業自得なんだよ!」

誠にその通り。

そして支離滅裂だ。

この文章を書いていても、何を伝えたいか、泣き言ばかり。

埋まらない。死ぬまで。

この女々しい心の穴は。

 


唯一、ときどきそばにいてくれる保護猫がわたしに温かみを与えてくれる。

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